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写真の整理 石見銀山編②
こんにちは、風変りな電気屋 です。


現地ガイドさんと歩く世界遺産石見銀山ツアー


下河原吹屋跡 (しもがわらふきやあと)

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発掘調査によって初めて発見された17世紀初頭
(江戸時代初め)の銀精錬遺跡。
ここでは、鉛を利用した「灰吹」法と呼ばれる
精錬法で銀を取り出していました。


銀鉱石を砕いた要石(かなめいし)

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鏈拵(くさりこしらえ)銀鉱石を「要石(かなめいし)」の
上に載せてかなづちで砕く。
その後、水の中でゆすりながらより分ける。


銀山遊歩道沿いある住宅の外灯と電力積算メーター

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職業柄の写真
勉強になりました。

大田市大森銀山伝統的建造物群保存地区保存計画より
電柱、看板等の整備
電柱、架線等は、伝統的景観を阻害しないよう
地下埋設や移設を図る。
看板等については、規模、材質、設置場所等に関して
指導、助言を行い、伝統的景観の保全に努める。
街路灯に関しては伝統的景観と調和する形式とする。


清水谷製錬所跡 (しみずだにせいれんしょあと)

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明治26年から建設され、わずか1年半あまりで閉鎖された
明治の先端技術による製錬所の遺跡。


上市場 (うえいちば)

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銀を納める御文庫などを中心に形成され、
「上市場」「千京」「魚店」などの地名に
示される商業も盛ん。
「士稼の人数二十万人」とか
「家数二万六千軒余、寺百箇寺」と
相当規模の町が形成されたことが推定できます。


清水寺 (せいすいじ)

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元々仙山(せんのやま)頂上付近の石銀(いしがね)に、
天池寺と言う名で建てられていたそうです。
それが平安時代に清水谷に移され改名して
清水寺となり、幕末に仙山中腹に移転したそうです。
この時代石見銀山に関係した毛利輝元や大久保長安が
崇敬したそうです。
その後明治11年(1878)に現在の地に移されました。
このお寺には、徳川家康公から頂いた
「辻ヶ花染丁字文胴服」を所有され、
これは国の重要文化財に指定されています。



後日につづく



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2012-11-13 Tue 23:59
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